まささん、映画「くたばれヤンキース」を語る

ミュージカル映画・音楽映画の歴史
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ミュージカル・音楽映画の歴史29(私の映画体験107)

くたばれヤンキース(Damn Yankees)を語る

初めに

 今回ご紹介するのは、1958年制作のスタンリー・ド-ネン、ジョージ・アボット共同監督の「くたばれヤンキース」です。振付師ボブ・フォッシーを世に知らしめた映画として有名です。

 元は1955年初演のブロードウェイミュージカルで、トニー賞の作品賞、主演男優賞(レイ・ヴォルストン)、主演女優賞(グウエン・ヴァ―トン)、振付賞(ボブ・フォッシー)など、主要な賞のほとんどを受賞しました。曲はミュージカル「パジャマ・ゲーム」のコンビでもあるリチャード・アドラーとジェリー・ロス。

 日本のプロ野球巨人のV9時代に小、中、高校生活を送った阪神ファンの私としては、主人公の気持ちは痛いほど分かる。まあ、理屈抜きに楽しめる楽しいミュージカルです。

あらすじ

 中年の野球ファン、ジョー・ボイド(ロバート・ジェイファー)は、大のセネタースファン。でもいつもヤンキースに負けてばかりで今日もテレビに向かって「くたばれヤンキース」と叫んでいました。そこに現れたのが、悪魔のアブルゲート(レイ・ヴォルストン)。魂を売れば若くしてあげる、野球選手にしてあげると囁きます。

 悪魔に魂を売ったジョーは、若者ジョー・ハーディ(タブ・ハンター)となり、セネタースに入団します。さっそくジョー・ハーディの活躍が始まります。セネタースは勝って、勝って快進撃。しかし、いろいろな邪魔も入ります。女性記者は、彼の身元を疑いつきまとい、さらに悪魔の世界から美女ローラ(グウェン・ヴァードン)が送られてきてジョー・ハーディを誘惑します。

 いろいろなエピソードを経てセネタースは見事優勝します。さあその後ジョー・ボイドはどうなるのか。元の姿に戻って愛する妻メグ(シャノン・ボーリン)のもとに変えれるのか。さあさあどうなる・・・・

グウェン・ヴァードンの歌とダンス

 この映画で(舞台でも)歌い、ダンスを披露したグウェン・ヴァードンの”ローラの誘惑”。チームの更衣室でジョーを誘惑する場面で歌い踊られる曲ですが、この歌とダンスがすごい評判をよびます。歌って踊ったヴァ―ドンもそうですが、振り付けをしたボブ・フォッシーも高い評価を受けます。

 フォッシーが言います「もしグウェンが踊らなかったら、僕の振付があれほど注目されることはなかっただろう。」後に2人は結婚します。

 ほかにもいい曲がたくさんあります。チームの監督が選手を励ます”ハート”。選手たちがダイナミックに歌い踊る”ハンニバル生まれのシーレスジョー”など楽しい曲が盛りだくさん。

振付師ボブ・フォッシー

 彼の出現でミュージカルにおけるダンスが大きく変わったと思います。こうして第二次世界大戦後のミュージカル映画を追いかけてみるとよく分かります。それまでのダンスは、ジーン・ケリーやフレッド・アステアが映画のクライマックスシーンで、ソロにしろ、シド・チャリシーやレスリー・キャロンを相手のデュエットダンスにしろ、バレエの要素も取りいれながらその卓越した個人技で踊られるのがほとんどでした。

フレッド・アステアとレスリー・キャロンの映画

 「パジャマ・ゲーム」や今回の「くたばれヤンキース」などのボブ・フォッシーの振付以降、ジャズのリズムをベースに集団で一糸乱れずダンスをする群舞が映画のクライマックスシーンで多く使われるようになります。まさに時代を変えた振付師ボブ・フォッシー。彼はこの後、舞台や映画に振付師としてはもちろん、演出家、監督としても大活躍。彼は1970年代を疾走します。

 1970年代に青春時代を送った私としても、黒い山高帽に黒いタイツ、少し猫背で、内股で集団でダンスを踊るいわゆる「フォッシー・スタイル」と言われるダンスを映画やテレビで嫌というほど見せられます。まあ、ミュージカル映画史上忘れてはいけない人物ですね。

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