昔、関西にプロ野球球団、南海、阪急、近鉄があった①

コラム
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南海ホークスの巻

 昔、昔、南海、阪急、近鉄というプロ野球球団がありました。南海はソフトバンクに、阪急はオリックスに、近鉄はオリックスと楽天に分割されて今に至っています。

 南海は私の小学・中学性の頃は強くて、前も言いましたが私の周りの素直な子は、巨人ファンか南海ファン。そりゃそうですよね、子供は強いものが好きですからね。その当時の南海は鶴岡監督のもと、広瀬、野村、穴吹を中心とした強力打線と杉浦、皆川の両サブマリンを筆頭にした投手陣でペナントレースを西鉄などと争っていました。ホームグランドは大阪球場(別名ナンバ球場)私の家から歩いて20~30分のところにあったので、よく父親に連れて行ってもらいました。中学生ぐらいの頃は、友達ともよく一緒に行きました。繁華街のど真ん中にある小さい球場でしたので、すり鉢の様なスタンドで傾斜が高くファールゾーンも狭く、それだけにグランドが近いので選手がまじかに見れました。そうそう、スコアーボードの裏が通り抜け出来る様にになっていたので、ホームランボールを取るために、右バッターの時はレフトスタンドに、左バッターの時はライトスタンドに行ったりデキたんですヨ。すごいでしょう。

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 私の友人に南海の私設応援団の団長がいたのですけど、南海からダイエーになってからも日本シリーズになると応援団(南海ホークスの !)旗を持って福岡まで応援に行っていました。「もう福岡へ行ってしもたから応援に行かんでもええやろう。」というと、「ホークスの名が残ってる限りは応援を続けるんじゃ。」と言っていました。やっぱり、大阪のソウルチームだったんでしょうね。

 ホークスの最後のリーグ優勝は1973年、野村選手兼監督の時で、パリーグが前後期に分けてリーグ戦をおこなっている時でした。この優勝は傑作です。前期優勝したホークスは後半戦には主力を温存し、若手を多く使かって試しながら戦っていたので大負けしました。でも後半戦の覇者阪急に勝って、リーグ優勝しました。智将野村の面目躍如というところでしょうか。「寝たふり優勝」と言われたこの優勝を最後にホークスは転落の一途をたどります。そしてダイエーに身売り。福岡に行ってしまいました。

 でも、今も居酒屋で飲んでるときにホークスの話をしていると、多くの知らない人が話に入ってきます。やはり多くの人にとってホークスは大阪のソウルチームなんでしょうね。

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まささんの天王寺通信

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