まささん、映画「ウディ・ガスリー わが心のふるさと」を語る

1970年代アメリカ映画
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1970年代の映画の思い出㉑(私の映画体験㉘)

ウディ・ガスリー わが心のふるさと

 今回の映画は1976年制作のハル・アシュビー監督の「ウディ・ガスリー わが心のふるさと」です。アメリカフォークソングの父と言われている、ウディ・ガスリーの半自伝をアメリカの雄大な自然とともに映像化したものです。アメリカフォークソングの成り立ちとアメリカの素晴らしい自然をお楽しみください。

 あらすじは、1930年代大不況真っただ中のアメリカ。ヒッチハイクしたり貨物列車にと潜り込んだりしてただ乗りの放浪の旅を続けるウディ・ガスリー(デヴィッド・キャラダイン)は、その旅を続ける間にいろいろな社会の不条理な出来事に怒りを覚えていきます。そのうち彼は、街中でその不条理なことに対して演説をするようになります。ある日、いつものように演説をしてると、警官からやめるよう言われます。彼は、同じ通りで賛美歌を歌っていた修道女にはなぜ止めるよう言わないのかと警官に食って掛かります。警官はこういいます。「彼女たちは歌を歌っているのだ。」ウディは言います。「歌ならいいのか!」警官は答えて「歌ならいい」その瞬間アメリカフォークソング(プロテストソング)の誕生です。彼は、街角で思いのたけを曲にして歌いまくります。そのうち評判をよび、ラジオに出演したりします。彼は歌とギターで労働者の心を癒し、やがて反体制の旗手となっていきます。

  時代は1930年代のアメリカ。1920年代後半からの大不況がいまだに続く中、1917年におこったロシア革命の影響もあり、労働運動が活発化しだす。工場ではストが頻発し、資本家と労働者との対立が鮮明化します。そんな中、彼の歌は労働者を勇気づけ力を与えます。これ以降、多くの後に続く人たちが出てきます。ピート・シーガー、ジョーン・バエズ、そしてボブ・デュラン。日本でも高石友也、岡林信康、五つの赤い風船などいわゆる関西フォークと言われた人たちが続きます。そういえば、日本ではもっと早い時期の明治・大正期に世相を歌い上げた添田亜蝉防という演歌師がいましたっけ。

 この映画は、アメリカフォークソング(プロテストソング)の成り立ちがよくわかるとともにハスケル・ウエクスラーのカメラによる風景ショットが絵葉書のように美しく、これだけでも一見の余地はあります。まさにウディとともにアメリカの大地を旅した気分を味わえる映画です。

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